月刊ガソリン・スタンド 掲載 2013.09

掲載紙
月刊ガソリンスタンド
掲載日
2013年9月
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夢を育むステーションへ

私の夢を育ててくれたガソリンスタンド
ガソリンスタンドと私

「兄ちゃん。このベンツ、ちょっとの間、置いとってくれや!」「いつも預かってもらってるから大丈夫や…」このセリフは、私のガソリンスタンド人生最初のお客様からの言葉でした。結果的に、改造を施した高級ベンツを丸一日放置されることになったのを記憶しています。20年以上も前のことですが、今も鮮明に覚えているお客様のあの時の表情。私とガソリンスタンドとの出会いは、このような苦しい幕開けとなりました。

 当時、大学浪人が決まり、4月早々にアルバイトを始めたのがSS業界に関わるきっかけでした。求人誌で、時間給の最も高い仕事に応募。大阪の芦原橋にある小さなガソリンスタンドへ面接に行きました。こちらの話もほとんど聞かず即採用。そして、初日の勤務早々に起こったのがこの出来事でした。

 この出来事は、偶然ではなかったことに後々に気づかされることになります。その方は、新人スタッフが入ってくると、例外なく不当な要求を吹っかけてくる常連難癖のお客様だったのです。新人の私を見るなり意図的に仕掛けてきたのでしょう。そして、まんまと落とし穴にはまった。当時の私は甘かったわけです。また、このお店はそのような悪質なお客様が幾人も出入りする有名店でした。他方でラッキーなこともありました。そのようなお店を切り盛りする警察官並みの店長が、私に多くのことを教えてくれたからです。とは言え、その時は一大事です。この車を無事にお客様に引き渡すためにあらゆる手段を講じてくださった。右も左もわからない私を叱ることなく、解決手順を手取り足取り実践で教えてくださったのです。

 この日以来、ガソリンスタンドで起こる悪質なクレームや作為的でトラブルの多くを実践で学びました。対処の方法や謝罪の方法、初期対応がどれほどに大切であるかを体得していきました。学びの要点を一言でいうと、さばき方のコツを覚えたということでしょう。加えて、致命傷にならない程度にスタッフにトラブルを経験させることも重要であると言えます。スタッフがトラブルを経験していれば、初期対応の大切さを経験値としてわかるでしょうし、未然に防ぐことにも協力的になります。雇ったばかりの無防備な私を、大きな愛で見守りながら軽度の失敗を経験させる。本番を教材と知る実践主義の店長は、解決までの一部始終を見せることで私に学ばせてくれたのでした。

その後、半年も経たない間に私に転職の話が持ち上がります。店長から、郊外の店舗へ異動して欲しいと打診がありました。しかし私はアルバイトです。当時、その会社にはアルバイトの転勤はありませんでした。ですが自宅に近いお店だったために快諾しました。理由は、そのお店に暴力団風のお客様が頻繁に来店して困っているとのこと。その状況に困り果てた店長が、個人的に関係の深かった芦原橋の店長に相談し、私に白羽の矢が当たったというわけです。転職後、対面したそのお客様は、実のところ大したことはありませんでした。手前半年の経験は予想以上に有効だったようで、ほどなく来店されなくなりました。その対応をきっかけに、社員からアルバイトに至るまで、私が研修を行う流れが自然にできていきました。

そのお店は郊外の幹線沿いに立地する大型フルサービス店で、多くのアルバイトが働くクラブ活動のようなお店でした。油外収益を最も上げているのは高校生のアルバイト。平日の夕方と土日祝日だけで社員の実績を凌駕する高校生アルバイトの存在に驚きました。他にも4~5人はそのようなスタッフがいたでしょうか。そんな彼らへもトラブル対処法を教える教官となった私は、彼らに頑張りのヒミツを聞いてみました。すると意外な返事が返ってきました。「訓練です!」と。少し話してみると、彼らには夢があり、その夢に本気で向き合っていることがすぐに分かりました。そして、SSの仕事をその夢実現の為の練習場だと捉えていたのです。その雰囲気はお店全体に広がっていました。普通なら、恥ずかしくて言えないような夢が溢れている空間だったのです。歌手、俳優、オートバイのレーサー、物理学者、焼肉店のオーナーなど。社員を含むスタッフの多くは、ここでの仕事をその前哨戦と捉えていました。油外収益の一部が報酬として戻る仕組みはありました。しかし、その頑張りの源泉は報酬ではなかったように思います。よく聞こえてきたのは、「こんなことも出来ないのなら、女優になるチャンスが私に舞い降りても、10枚のチケットすら売れないわ・・」のような自分への苛立ちでした。トラブルの講師的立場で働くこととなった私でしたが、夢に向かって本気で歩んでいる年下の存在が衝撃でなりませんでした。私にも夢はありましたが、浪人と同時に心の奥底にしまい込んでしまっていたからです。

このお店で、夢に向かって歩む本気のチームの一員に加わることが出来たのは幸運でした。夢と言っても店舗の数値目標ではありません。個々それぞれの人生の夢です。時折、挫けそうになったスタッフへは、いつも仲間が励まし勇気づけていました。閉店後に皆で行きつけたラーメン屋。そこは、いつも夢の話題で持ちきりでした。社員から新人アルバイトまで、来るもの拒まずの雰囲気の中で、私も自分の夢を再認識し前向きになっていきました。

もう一つ、忘れられないシーンがあります。それは、スタッフが巣立っていく瞬間です。自ら決めて次のステージに歩む決心をしたら、いつものラーメン屋が涙溢れる卒業式の場と変わります。単身東京に出ていく未来の歌手。お店のオープン日を決めた未来の店主。地方の大学へ進学が決まった科学者の卵など。仲間が夢に向かって羽ばたいていく瞬間は、どれも希望に満ちていました。不思議なのは、その神秘的な空間が「次は君の番だよ!」と、いつも私の心に語りかけてくることでした。私が今も新たな分野にチャレンジし続けられるのは、これら経験の賜物だと思います。そんな私は、青春ドラマのような夢を育むこの雰囲気が今でも好きでたまらないのです。

ストーリーツールが心を動かす!
スペックと私の夢

「上村さん、この会社知ってますよ!」「あのガソリンスタンド、日本にいる時にいつも使っていましたよ~」。2013年1月、ロサンゼルスでの講演後に嬉しい言葉が飛び交いました。現在、私はスペックという会社の代表をしています。ガソリンスタンドへの人材派遣業から始まった当社は、教育、PR、販促、運営代行など、お客様のオンリーワンを支援するブランド創造企業に歩みを進めてきました。そんな仕事柄、各地で講演をする機会もいただくのですが、どのような講演でも冒頭に創業時をまとめた映像を使って話を進めます。現在の仕事内容からはスペックの創業を理解し難いため、この映像ツールが有効となります。この映像は、創業当時の写真に音楽を乗せた10分ほどのものです。そこには、名もなきスペックに仕事を与え、私たちを育ててくれた取引先がエンジェルとして登場します。ロサンゼルスでご来場なられた皆様にも、この映像で創業の物語をご覧いただきました。そのために、ガソリンスタンドに思い入れのある方が、嬉しい言葉を私にかけてくれたのでした。

創業する以前は、先述した浪人時代のアルバイトで活動費を捻出して大学に入学。その後も、夜勤スタッフとして学費と生活費を賄っていました。その安定収入を得て大学を卒業。就職活動中に父親のがんが発覚し、当時の夢を諦めて地元の鉄道会社へ入社しました。入社後、ほどなくして父親のがんが再発。高額の治療費を長男の私が払う現実に迫られ、アルバイト時代の経験を武器に独立を決意しました。そうしてスペックが誕生したのです。

現在、私には、ガソリンスタンドを「夢を志す若者が集まる場所にしたい」という夢があります。私たちと取引のあるガソリンスタンドのみならず、将来的には日本のガソリンスタンドを地域の夢づくりの学校のような職場にしたいと考えています。世界を見ても、成功物語の影は下積み時代のウェイトレスやガソリンスタンド店員という事例が多くあります。私の夢を叶えてくれたガソリンスタンド業界に感謝の思いを込めて。他業種からも夢に向き合う人が集まる、そんな夢いっぱいの舞台にしたい。規模の論理で経営するのではなく、また他店より時間給を高く設定して業界内の人材を奪い合うのでもない。せっかく応募があった新人を数字で潰してしまうお店でもありません。ガソリンスタンドが中長期的に繁栄していくためにも、気品のある大人と夢を追う若者が集う愛と希望に満ちた場所にしたい。そんな中継地にしたいと考えています。

ガソリンスタンドは夢の宝庫
世界のガソリンスタンドにも夢があった!

ハワイ、オアフ島のアラモアナショッピングセンター裏手に日系のガソリンスタンドがあります。フルサービスで板金工場を完備し、日本製の門型洗車機を終日フル稼働させるこのお店は、地元のお客様に愛される人気店です。赤羽社長は、私のインタビューに対して「あることがきっかけで、日本の30年前のフルサービスを徹底的にやってきました!」と話してくださいました。そのあることとは、数年前にハワイ諸島内のガソリンスタンド店を価格順に提示したウェブサイトが出現。それ以来、地元の人たちはこぞって安値のお店に出向いたと言います。さらに厄介だったのは、高値店のランキングにあることでした。この高値リストにランキングされてしまうと、お客様の来店が激減してしまうとのこと。セルフサービス店が当たり前のハワイで、フルサービスを運営していた同スタンドは価格面でも不利な立場に追い込まれたと当時を振り返ります。「しかしその最悪の状況が転機となりました」と赤羽社長は言います。「価格競争からは離脱して、日本式のフルサービスを徹底的に貫こう!」と。地元の車好きが集まるお店にするべく、日本式の心のこもった洗車を武器に歩みを進めたそうです。そして、社長自らが現場で指揮をとり、営業を展開。地元ケーブルテレビにも日本式洗車としてのCMを放映したりもしました。そうして、今では島内トップクラスに繁盛する洗車とカーメンテナンスのお店へと変貌を遂げたのです。顧客層も、日本からの旅行者から地元の車好き層や高所得者層へ変わりました。長期滞在されている方の留守中の車両メンテナンスを引き受け、高級ホテルのVIP顧客車両を専用で洗車するなど、構造的な転換を進めてきたと話されていました。

そんな赤羽社長が指揮をとるお店にも、やはり多くの夢がありました。働くスタッフそれぞれが持つ夢を会社の原動力として活かして、社長の夢である構造転換を図ってきたのでしょう。スタッフの夢を事業に結び付けた参考になる事例がありますので、紹介いたしましょう。
地元の大学を卒業した日本人スタッフのトモキさんは、在学中にアルバイトをしていたこの会社に就職。店舗で管理者をしたのちに、自らの夢を会社の新規事業と組み合わせて移動式飲食店を立ち上げました。その名も「やじま屋」。うどんやどんぶり中心の日本式カジュアルフード。ハワイ育ちの若者ならではのアイディアでメニューを創り上げ、地元の人気スポットとしてソーシャルメディアでPRを続けたそうです。私のPR著作も参考にしてくださったようで、現在では人気のお店となっています。

その他の地域でも、ガソリンスタンドには夢がいっぱいあります。昨年訪問した南米アマゾンの奥地でも、スターを夢見る女性スタッフが働いていました。舗装されていない地面にポンプが立っているだけのガソリンスタンド。近くの町までは、車とボートで丸2日を要するジャングルの一本道にあるこのお店には、18歳ぐらいの女性スタッフが働いていました。彼女のスタッフが働いていました。彼女の夢はハリウッド女優になること。たどたどしい英語で日本から来た私に夢を語ってくれました。窓拭きはなく給油をしてくれただけでしたが、私の名刺を見て必死に自分を売り込んでいました。まだまだ荒削りなアピールでしたが、彼女の未来を垣間見た素敵なひと時となりました。

今年訪問したインドでも、給油してくれた男性スタッフが私に夢を語ってくれました。「ここで働いて、近い将来自分のガソリンスタンドを持ちたい・・・」と。私の少し意地悪な質問にも予想を超える返事が返ってきました。「ガソリンスタンドを所有するにはたくさんのお金が必要じゃないですか?」と。すると、「ここでは、高級車に乗ってくる金持ちの事業家を探しているんだよ!」「その事業家さんを説得して自分のお店を持つんだ!」と。驚きました。技術を覚えているのではなく、事業家のパートナーを探しているのです。いつの日に、お目に適った事業家が来店すれば、共同経営の話を持ちかけるのでしょう。私たちの常識ではあり得ないプランですが、彼の眼差しは真剣でした。

お客様を応援するのが大好きです!
時代を乗り切るキーワード「夢を育てる」

私がお勧めしたいのは、読者の皆さんも、自分の人生を楽しく生きるために夢を思い描いていただきたいということです。夢は不思議なもので、思い描いている人たちの間でのみ共感の連鎖が起こります。そのために、経営者や店長もご自身の夢をしっかり描いていないと、スタッフやお客様、家族の夢にも共感できないことになりかねません。仕事の場で夢と言うと「恥ずかしい」や「会議で発表できないよ!」など、ネガティブな感情が浮かぶかもしれません。しかし、私のお勧めする私的な夢は、仕事に於いて強力なモチベーションの源泉となります。経営者であろうと、アルバイトであろうと、まずは現在の仕事を通過点と捉えて、夢に向かって歩んでいると自分を肯定してみてください。そして夢を描いてみましょう。
また、夢追い人は、夢を優先して仕事をいい加減にするのはないか、という不安を持つかもしれません。しかし私の経験では、夢のある空間はどこよりも厳しい自立心とチームワークが作用しています。夢を志し、公言して生きる人は、概して一生懸命です。そして、仕事が自己表現を鍛える最高の場所だと知っています。そのようなスタッフが働くお店なら、心温かいお客様が多く立ち寄ってくれるでしょうし、自然とお店の成績も上がると思います。管理者は、その人の夢が本物かどうかを見極め、本気で夢を歩む人の集団にしていけばいい。そして、ある一定の時期を過ごしたら快く送り出してあげればいいのです。決して人材難だからと引き止めはしません。その舞台を監督する店長や経営者は、技術的な指導とともに、個別スタッフの夢への歩みをフォローしてあげる。それらを融合して店全体の業績向上へと結実させる技量を身につけていけばいいのです。

確かに、日本の石油業界は激動の時代に突入したといってもいいでしょう。しかし、大切にすべきことはシンプルです。元来、人は応援することを好みます。スタッフが夢を志していれば、夢を持つお客様が引き寄せられるはずです。同僚が良き友人となり、お客様が地元の支援者となる。卒業していったスタッフも、下積み時代の思い出として生涯にわたって感謝し、現役スタッフの夢をサポートしてくれることでしょう。心あるお客様が集まるお店には品格が備わり、必ずや未来への扉が開かれるはずです。その意味で、私たちの将来の繁栄は、夢に送り出したスタッフの数だけ可能性が高まるのではないかと思います。皆様も、現実的な厳しさに真正面から向き合う辛さの中でも、自分とスタッフの夢を描くことを忘れない心ある業界人でいただけると嬉しく思います。